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渋みや苦みに慣れてくると美味しく感じるとかいうよりもうそれつまり飽きてるってこと。 [思想(仮)]

年も明け、高齢化社会のことをさらに真面目に考えるとやはりヅラのことも考えなくてはならないと思っているんですね、わたしは。そういう表に出ない問題に目を背けてはいけないというか、わたしはヅラのことを考えるからあとのヒトたちはほかのシビアなことを考えてって感じなんですよ。こういうのは早い者勝ちですよ。

…それで話に聞くと、やはりヅラは舶来品というか、なかなか手に出せない商品なので被るヒト被らないヒトの二極化には目を見張るものがあると思うんですよ。

あとはあの、

ヅラ側通行というか、ヅラ側歩行、っていうんですか?

ヅラのヒト…、ヅラビトと並んで歩く際はヅラビトを壁際にしてあげるというか、それには理由が2つあるんですけれど、
たとえば背後から近づいてきた二人乗りのバイクにヅラを奪われることもあるかもわからないからその被害を防ぐためと、
仮に塀が崩れてきてもヅラを被っているというハンデをもっているからして被っていないヒトよりかはダメージを軽減出来るので、
だから前者と後者とでうまいことヅラビトとの共存が出来るかなということなんですよ。
でもとっさのことだからヅラを脱いでそれを被せてあげて庇ってくれるかも知れない可能性を考えたならば、最初からヅラであることをわかっていると伝えてあげると、ヅラ側歩行の提言にもなるからそれが望ましいんですけれど、やはり被っているヒトからカミングアウトしてくれたほうがお互いが遺恨なく良き理解者になれるとも言えますね。